焦ってることが1番毒です。だから焦りがなくなるまで休まないとまたしんどくなります。1度焦らなくなったらもう人生イージーです。本当にイージーです。ぼくの本当に個人的な経験からくる意見です。https://t.co/bi5G8B7LQy
— Virginia (@Virginia_twi) 2017年8月21日
「焦り」が1番毒。焦りを捨て去ることができれば人生イージー。
これはぼくの本音だし、本気でそう思うこと。
でも少し伝わってないこともある気がして。無責任な発言はなるだけしたくないから、希望だけじゃなくて「焦り」を捨てることの辛さや傷みについて今日はお話しておきたい。そこがぼくにとって一番辛い時間だったから。
ぼくが地獄に落ちるまで
大学院を修了するまでの学生時代。ぼくはそれなりに一生懸命勉強し、研究し、論文を書いた。当時のぼくには不満やストレスを感じる時間的余裕はなかった。でもそれで良かった。こどもの頃からぼくは病んでしまう人の気持ちがわからなかった。自分で自分のことを「ぼくはストレスが溜まらない人なんだな」と思っていた。
ぼくは誰かに愚痴を言うことをほとんどしてこなかった。ぼくの個人的な話題には一切触れてほしくないから、誰かをイジったり馬鹿な話に逃げる。もしくは知的な話をしてインテリを装ったり。恋の話だって誰にもしない。彼女がいた時期もあったけど、ぼくの内面が晒されないように話題を逸しながら接していた。セックスのときも。
溢れそうなコップの水
長かった学生生活が終わり、アルバイトを始めた。アルバイト開始から3日目。その日は突然訪れた。ぼく自身得意だと信じ込んでいたストレスを見て見ぬふりをする25年の生活。ある日急に終わりがきた。キッカケについては詳しく話さない。でも2014年4月18日にぼくの人生は一度終わった。それは天災のような拒否できない事象ではなかった。むしろ自ら望んで、深い闇に迷い込んでいった。
小、中、高、大、院と子供の頃から大人になるまで、ぼくの小さなコップに溜め続けた「毒素」がようやく溢れたその日。本当はもう少し前に溢れていたんだけれど、溢しちゃいけないと思ってなんとか手で押さえていた。そんな感じかもしれない。とにかくコップから水は溢れた。
そこから地獄が始まった。
ぼくの「地獄」はそこから1年と3、4ヶ月程続いた。この地獄は前期と後期がある。前期は「極限の焦り」、後期は「廃人」。
極限の焦りと死への意識、もしくは憧れ
コップから水が溢れたぼくはとても焦った。これまで見て見ぬふりをしてきたものを全て自覚してしまったのだ。
- 建築に対する情熱
- 愛の不在
- 院卒ニート
- コンプレックス
- 優秀な友達
- 自分を大切にできない不甲斐なさ
ぼくの毒素は不安や焦り、コンプレックスだった。ずっと気付かないフリをしてきたのに。だから焦った。身体は追いつかないのになんとか周りのやつと同じ土俵に戻ろうとしていた。
結局だめだった。自分なりにみんなに追いつこうと行動を起こしたけど、世の中そんなに甘くはなかった。そんな現実に絶望してぼくは引きこもりになった。布団から出られない、家族にも会えない、風呂も全然入らないし、髪も切らない、メシも食わない。
その頃ぼくは死を意識しだした。もしくは憧れだした。
焦りは約半年間続いた。ずっと求人情報を見てる。でも応募する勇気が出ない。でも周りと同じように働きたい。でも自分が通用するわけない。でも毎朝起きて仕事に行きたい。でも会社の人達と一緒にうまくやっていける自信がない。でも休みの日を心待ちにする日々を過ごしたい。でも既卒で自分が納得できる仕事を見つけられるはずがない。
こんななんの生産性もない押し問答を半年間続けた。
もう死のうかと思った。
明らかに死んだほうが楽だった。
結局自分の頭では答えが見つからなかった。だから諦めた。死ぬことすらも諦めた。もうどうでもよくなった。ほんとうに、どうでもよくなった。
廃人
そこから半年以上は廃人生活。記憶がほとんどない。
呼吸していた。ただそれだけ。
それから
いま、ぼくは生きている。
焦りはない。
人生イージー。
でも今、自分がどこにいるのかは分からない。
病んでる状態に戻ったのか?
それともあるべき健康的な身体を手にしたのか?
まだ廃人なのか?
わからないけどこれから生きていこうと思う。
誰よりもいまを感じながら。
written by Virginia